漫画『ぼくは麻理のなか』感想
はじめに
引きこもりの青年と美少女が入れ替わる『ぼくは麻理のなか』(押見修造/全9巻)を、やっとやっと読みました。紙版・電子書籍版が販売されていますが、「マンガBANG!」や「ピッコマ」などの漫画アプリでも無料で読めるみたいです。
『君の名は。』の新海誠監督がストーリーに影響を受けたというこの作品。なかなか過激な性描写がおおいので、耐性のないひとだと不快感をおぼえるかもしれません。実際、グーグルで作品名を検索すると「気持ち悪い」って候補が出てくるのですよね。
ただ、わたしはそうした部分も含めて、これはどういう意味かな?どうしてこんなシーンがあるのかな?とたのしめました。というわけで、ここから先はネタバレありの感想です。
あらすじ
大学進学をきっかけに群馬県から上京したものの、友達が一人もいない大学生の小森 功(こもり いさお)。
そんな≪ぼく≫の唯一の楽しみは、コンビニで見かける女子高生を定期的にストーキングすることだった。しかし、いつものように後を追っていたある日、突然記憶が飛んでしまう。目を覚ますと、そこには見知らぬ部屋。≪ぼく≫は、コンビニの彼女≪麻理(まり)≫と入れ替わってしまっていた。
ネタばれ感想
女性の恐ろしさ
押見修造先生の作品に触れるのは、今回が四回目です。中学生男子の思春期を描いた『惡の華』、美貌の毒親にぞっとする『血の轍』、初恋の女性とネカフェのなかで遭難する『漂流ネットカフェ』。いつも「女性の怖さを描くのがお上手だな」とかんじてきたのですが、やっぱり『ぼくまり』でもおなじ震えをおぼえました。
これはあくまでわたしの意見だけれど、「おんな」は世界を作り、守り、包み込むおおきな力を持っていながら、微笑みをたたえた顔でそれをひねりつぶせる非情さもまた、持っているように思います。
そうした姿への畏怖をまざまざと感じるのが、先生の描く女性たちなのです。
キャラクターが美貌の女子高生だろうと生活にくたびれた中年の母親だろうと関係なく、わたしは「おんな」の恐ろしさを見るたびに、胃液の込み上げてくるような気持ちになってしまいました。
と同時に、自分の中の「おんな」を実感するのです。それは決していい気持ちではないのだけれど、「どれだけすました顔をしていても人間はみんな弱いのだよ」と、押見先生の作品はおしえてくださいます。自分をかえりみて、救われる心地がするから、こういう漫画を好んで読むのかもしれません。
麻理の秘密
おはなしの終盤では、麻理がもともと「ふみこ」という名前だったことが明らかになります。父方の母親、つまりお祖母ちゃんが名付けたものの、のちに母親によって「麻理」に改名させられたのです。
母親のエゴイズム
母親がどうして改名したのかですが、子供に対する支配欲かなとおもいます。「ふみこという名前は全然かわいくない」と発言していましたが、名前そのものよりも、お祖母ちゃんそのものが気に入らないという印象でした。
自分がおなかを痛めて”産んであげた”子なのに、”勝手に”自身のセンスとは異なる古風な名前を与えられ、好みにあわない子供服を贈られたり、週に何度も家へ遊びに来られる。そうした距離感への近さからどんどん苛立ちがつのっていく母親。
こうして改めて文章に書き起こしてみると、まんがを離れた現実世界でも、そんなにめずらしくないエピソードのようにかんじます。言ってしまえば、お姑さんとお嫁さんのおはなしだものね。
なので母親の言い分というか気持ちはわからなくもないのだけれど、やっぱり、振り回される麻理には同情してしまいます。
名前を与える意味
「優しい子に育ってほしいから、優子」
「立派なスケート選手みたいになってほしいから、結弦」
こんなふうに、わが子に名前をつけるときは、願望や想いを込めることが多いですよね。だけどすこし見方を変えたなら、そこには大なり小なり親のエゴも含まれています。そうすると名前を与えるという行為は、対象を自分の支配下に置こうとすることなのかもしれません。
だけど同時に、支配されることで、自分は存在していいのだと安心もできるとおもうのです。たとえば「史子」と名前を与えられ、何度となく「ふみこ、ふみこ」と呼ばれるなかで、家族や集団のなかでの居場所ができるんじゃないかなって。
名前を奪われる行為
だから、「ふみこ」が母親のエゴで「今日からあなたは”麻理”よ」と改名させられたとき、いっきに足場の崩れる思いがしたのではないかなと感じました。自我やアイデンティティの拠り所を奪われれば、きっとおとなだって戸惑います。それが幼少期の出来事なら、その苦しさは想像にかたくありません。
結局麻理は、母親のもとめる「かわいい麻理ちゃん」を演じ、そうした現実への逃避から第二の人格「小森 功」を自分のなかに宿すようになりました。ほんとうにストーキングしていたのは小森くんではなく麻理のほうで、彼の生活を観察するなかで得た情報から架空の人格をつくりあげていた、というオチだったのです。
単に女子高生とフリーターの男の子が入れ替わるおはなしじゃなかったんですね。『僕は麻理のなか』というタイトルと小森くん目線ですすむストーリーのせいで、すっかりミスリードしてしまいました。
好きなシーン
小森くんの電話
大学に行かずネットゲームと手慰みに明け暮れていた小森くんが、麻理へ恋したのをきっかけに変わっていくところ(7巻)。伸びっぱなしだった髭を剃り、髪を短く切りそろえた小森くんが、部屋で正座をしたまま電話をかけています。
「バイトの!面接を……お願いしたくてお電話したんですけれども……あっ!こっこっ小森功と言います……!」
どもりながら連絡をする顔つきは、それまでの堕落しきった生活に別れを告げた青年のそれで、なんだか無性にこみあげるものがありました。やがて小森くんはコンビニで働き始めるのですが、最初は備品の置き場所などがわからず、もたもたしてお客さんをいら立たせます。
それでもなんとか自分を変えようと頑張る姿勢は、大丈夫だよ小森くん、大丈夫、大丈夫、と応援したくてたまらなかったです。
- 作者: 押見修造
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